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最高裁判所第三小法廷 昭和40年(オ)1027号 判決 1966年4月26日

上告人(被告・控訴人) 玉岡彰孝

被上告人(原告・被控訴人) 株式会社椿商店

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人植木敬夫の上告理由について

原判決は、上告人が訴外古庄浩に上告人主張のような和解契約を締結する代理権限があると信じたのも無理からぬと思われるような正当事由を認めるに足る資料はなく被上告人が上告人に対する債権取立の代理権を訴外古庄浩に与え、その旨を上告人に通知していたこと、その他上告人主張の事情があったからといって、それだけで当然に古庄に上告人主張内容の和解権限があると信ずるにつき正当の事由があるというに足りず、却って、上告人は古庄が債権取立につきどの程度の和解権限を有するかについて深く考えることなく、その点につき何らの詮索をすることもなく、ただ同人が被上告人から債権取立の委任を受けているというだけのことで現金五〇万円を支払った際、同人に懇請して上告人主張の念書を交付してもらったに過ぎないことが認められるのであり、結局上告人が訴外古庄浩に上告人主張のような和解契約締結の代理権限があると信ずべき正当理由があったとは認められない旨判断するものである。原判決の右判断は、その挙示する証拠関係、事実関係から肯認することができるし、所論引用の大審院判例の趣旨に反するものでもなく、正当である。したがって、原判決に所論の違法はなく、趣旨はひっきよう、右と異った見解に立って原判決を非難するに帰し援用できない。<以下省略>

(裁判長裁判官 柏原語六 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 下村三郎)

上告代理人植木敏夫の上告理由

原判決には理由不備(民訴法三九五条六号)又は審理不尽(同三九四条)の違法がある。

本件の争点の一つは、被上告人の代理人古庄浩がその権限を踰越した和解契約締結行為につき、上告人において、その権限ありと信ずべき正当の理由が存するか、否かの点にある。

しかして「民法第百十条ハ代理人カ其ノ権限ヲ超越シテ為シタル無権代理行為ニ付相手方ニ於テ代理権アリト信スヘキ正当の事由即チ相手方カ爾ク信スルニ付何等ノ過失ナカリシ場合ニ限リ右権限ヲ超越セル無権代理行為ニ対シ本人ヲシテ其ノ責ニ任セシメ依テ以テ取引ノ安全ヲ期シタルモノニシテ上叙ノ如キ正当事由即チ相手方ニ過失ノ存否ハ須ラク各般ノ場合ニ於テ係争行為当時ノ四囲状況等ヲ精査シテ判示スルモノナルコト論ヲ俟タ」(大審院昭和一一年(オ)第二六三三号、同一二年六月八日判決、大審院民事判決全集四輯一一号一〇頁)ないところである。

しかるに原判決は「控訴人は、古庄が被控訴人その他の債権者からどのような条件で債権取立ての委任を受けているのか、換言すれば、古庄は右債権取立につきどの程度の和解の権限を有するのかについて深く考えることなく、従ってその点につき何らの詮索をすることもなかった、として上告人に過失のあったことを漫然判示しているだけである。

原判決は果して「係争行為当時の四囲の状況等を精査して」右の如き結論に達したのであろうか、然りとすれば原判決は理由不備の違法あるものと云わなければならない。

或は原判決は右状況を精査することなくして、漫然上告人に過失ありと判示したのであろうか。然りとすれば原判決は審理不尽の違法ありと云うべきである。

一体「深く考えること」や「詮索すること」をしないことが過失ありと云うためには、係争行為の当時の四囲の状況に照してみて、通常人にそれが期待できる場合でなければならない。本件の場合上告人が手形不渡処分を受けたのち、債権者等の連日の如ききびしい追及を受けていたのに債権者中の一員何名かより古庄に「一切を委せた」との趣旨の通知を上告人が直接受け、しかし現在右古庄が交渉に来るようになってからは債権者自身の交渉はばったりなくなったこと、およびその他不渡処分に伴う営業上その他のきわめて切迫した状況等一切を考慮すれば上告人が「深く考えること」や「詮索すること」をしなかったからと云ってこれを過失ありと云うことはできないのである。

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